ただの相談役 気まぐれブログ
こんにちは「住宅プランナー」のガマです。
昨日、3月12日は、大正11年(1922年)生まれの父の米寿の誕生日。
うちの奥さんは、前日からお祝いのご馳走のことで頭を悩ましていました。
私からすれば、足腰が弱り、ボケがはいってきたとはいえ、
心肺機能はすこぶる元気な父、大日本帝国最後の陸軍軍曹をめざしているように思えます。
卆寿・白寿とありますから、まだまだお祝いは早い。
この父、「軍隊経験有り」と言っても、所属は広島の通信連隊。
満州には配属されるも、敗戦直前広島に転属。
そのまま広島にいれば、原爆の被害を受けていたでしょうが、
被爆時は敵の上陸にそなえて四国の山の中を移動中。
一人の敵兵を見ることもなく、一発の弾を撃つこともなく、
人生で一番太って戦争を終えている。
「内地にいた私の方が、機銃掃射を受けたりして、
よっぽど恐い目にあってたわ」とは、母の弁。
「おやじさん、どこで戦争しやはったん?」
「満州や」
「満州のどこらへん?」
「チンナンポ・カイネーや」
これでは軍人恩給もつかないはずです。
追加 昨日のご馳走に友人のO君からのプレゼントの焼き鯛が届き、
いっそう豪華な食卓になりました。
また山梨の弟家族から「米寿」、2人の娘から越後桜、
鳥取のS氏から「梨田酒店」、小中井君の友人のIさんから「小川」
といういろいろなお酒もいただき、家族全員、心も体も酔ってしまいました。
みなさん、本当にありがとう。