ただの相談役 気まぐれブログ
こんにちは
「施主さんと思い出紡ぐ家造り」
倉敷の工務店ユーリン・ホームの
ガマはガマでもワガママのガマです。
東京赤坂の迎賓館は
当時は赤坂離宮として
計画から9年の歳月をかけ
明治42年(1909年)に竣工しましたが
明治天皇の「贅沢だ」というお言葉で
東宮だった大正天皇の離宮として
使用されることはなかったといいます。
離宮として初めてお使いになったのは昭和天皇で
大正12年(1923年)のことですが
使用期間はわずかに5年間でした。
その原因は『結露』にあったといいます。
赤坂離宮建設計画が持ち上がった頃は
ヨーロッパの宮廷外交の華やかしき頃で
彼の地の宮廷建築の完全コピーを
日本の地にも建てようとして
内外装の仕上げ材や家具調度の
ほとんどを輸入品でまかなないました。
ただ日本の地は彼の地と違って
モンスーン地帯にある高温多湿の風土でした。
赤坂離宮にはすぐに『結露』が発生したといいます。
昭和天皇が東宮御所として
離宮をお使いになったとき
寝室にはアメリカ製のクーラーが
設置されていたといいます。
しかし残念なことに
そのセンサーが『結露』の為に
作動しなかった。
寝室は低温状態だったのですが
昭和天皇は私的なことで
不平不満をお漏らしにならない方です。
恐れ多い話ですが
その結果
昭和天皇が日本で最初に
クーラー(冷房)病に掛かられた方
と本で読んだことがあります