ただの相談役 気まぐれブログ
こんにちは
「施主さんと想い出紡ぐ家造り」
倉敷の工務店ユーリン・ホームの
ガマはガマでもワガママのガマです。
今朝、アズキと散歩に行きながら
(今日はA様邸のお引渡しの日だ)
と考えると同時に
昨日のギリシャ神話(ナルキッソス)
の絡みからか『シジフォスの岩』
の話が脳裏に浮かんできた。
罰としてシジフォスは
大岩を山頂に運ぶことを命じられたが
大岩は山頂まで後一歩というところで
重みで地の底まで落ちていってしまう。
シジフォスの罰とは
大岩を山頂まで押し上げることではなく
押し上げる行為を繰り返えさせられることだった。
日本の『賽の河原』に似ていて
「果てしない徒労」を意味する寓話だ。
このようなことを思いついたのは
ユーリン・ホームにとって
A様邸のお引渡しと共に
家造りが終わるのではなく
(新たに家造りが始まる)
と、フト考えたからだ。
家造り・お引渡し・家造り・お引渡し
この繰り返しを現象面だけで捉えていけば
まさしく『シジフォスの岩』だ。
しかし、人間には同じことの繰り返しの中に
喜びを見出そうとする特性がある。
まして家造りには
新たな出会いがあり
新たな間取りが有り
新たなこだわりがある。
それらの中に
新鮮さと歓喜を見出す感性を失わない限り
『家造りが』が『シジフォスの岩』に陥ることはない。
「人の一生は重き荷を負うて
遠き道を行くが如し。
急ぐべからず。
不自由を常と思えば
不足なし」
徳川家康のこの言葉は重い。
人は皆、背中に見えない『シジフォスの岩』を
背負って生きているのだ。