ただの相談役 気まぐれブログ
こんにちは
「家、こだわれば愛」
倉敷の工務店ユーリン・ホームの
ガマはガマでもワガママのガマです。
この間のO様邸建前の日に
大工連中が話をしていました。
「ワイら、これだけ家を建ててきたら
施主さんの顔なんか覚えとらんよな」
「そうそう、街で急に挨拶されても
分からんかったりして・・・」
(そうなんだ)と思いましたね。
大工で何十日も日数をかけて
家を建てている棟梁でさえ
(作業をしているだけで
仕事はしていないのだ)
というのが話を聞いての感想でした。
私は住宅営業をしていた頃からの
ご契約を締結して
家をお建て頂いた施主さんの
お顔も住所も家族構成も
みんな覚えています。
契約を締結するということは
機械でできる作業ではなくて
人と人とでする仕事だからです。
ところが
契約をされた施主さんに
待っている事態は
住宅会社の家を作るという
作業なのです。
私はそれが嫌で会社を創りました。
「現場監督は馬鹿だ」と
私はよく言っていたものです。
千などは『また始まった』と
呆れていたものです。
「馬鹿」と私が言うのは
「頭が悪い」という意味ではなくて
現場監督が仕様書や工程表ばかり見て
施主さんの人柄を見ようとしないからです。
彼らは家を作る「作業」に従事していますが
家を造る「仕事」には携わっていないのです。
家というのは本来
会社の金儲けや
営業の実績のために
建てるものではなくて
住まわれる人のために
建てるものだと考えています。
顔を見ずして
人柄が分からずして
どうして施主さんのための
家が造れるでしょうか。
私は営業をしていた頃から
業者・職人、特に棟梁には
私の施主さんの全てを
話したものでした。
それは、どのような人のために
『家を叩いているのか』と
棟梁に知って欲しかったからです。
(それすらしていない会社が多いのだ)と
あの棟上げの日に実感しました。
地鎮祭や上棟の日に
関連業者・職人を集め
『家造りへの決意表明』を
施主さんにさせる会社もあります。
そんな一時しのぎのパーフォーマンスに
喜ぶ施主さんなどおられません。
家造りは
モットモット真剣で深淵で
人と人との出会いの中で
生まれてきた信頼を核にして
人間関係を紡ぎ上げて
完成を目指すものなのです。
建築屋が仕事をしてもらったと
施主さんに感動して頂くには
お引渡しした家を「この家」ではなくて
「わが家」と思って頂かなくていけないのです。
私は「家造り」を作業に終わらせたくありません。
「家造り」こそ、仕事にしなければいけないものなのです。
「匠の技」はあって当然です。
「匠の心」こそ必然なのです。