ただの相談役 気まぐれブログ
オンリー・ワンの家造り 倉敷茶屋町ユーリン・ホーム。
今日は敗戦の日です。
私は『終戦記念日』という言い方が好きではありません。
今日は日本が敗戦を受け入れた日だと認識し
戦争にいたる経過と敗戦となった原因を学んでこそ
情緒的ではない反戦意識が生まれると考えるからです。
今朝事務所に来ましたら
デスクの上に置いてありました。
【裏表紙】
「日本人はオリジナリティーに乏しい」という言葉をよく耳にする。
果たして本当なのだろうか?
明治以降の科学技術の歴史をひもといてみると、日本人による
研究・発見が生活のいたるところに活かされ、現代社会を支える
技術として受け継がれていることがわかる。日本人にオリジナリティー
がないのではなく、日本人による多くの画期的な成果を正当に
評価せず、歴史に埋もれさせてきたのもまた、日本人だったのでは
ないか。
「飛行機の父」「日本のエジソン」「東洋のマルコーニ」「ミスター・
トルネード」「胃カメラの父」・・・・・・。世界に誇れる16人の業績と
その歩みを、信頼できる資料をもとに紹介する。
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【帯】
日本人に独創性はなかったか?
世界に伍して先端的な研究に挑んだ
16人の業績と歩み
▶科学の父 桜井錠二 ▶アドレナリンの父 高峰譲吉 ▶酸化酵素の父 吉田彦六郎 ▶ビニロンの父 桜田一郎
▶飛行機の父 二宮注八 ▶蓄電池の父 島津源蔵 ▶放送の父 安藤博 ▶地震学の父 大森房吉
▶天気予報の父 藤原咲平 ▶竜巻研究の父 藤田哲也 ▶ペースメーカーの父 田原淳 ▶胃カメラの父 杉浦睦夫
▶類体論の父 高木貞治 ▶特殊合金の父 増本量 ▶量子統計学の父 久保亮五 ▶ゲル科学の父 田中豊一
アドレナリンの父「高峰譲吉」は
副腎皮質ホルモンを結晶化して
アドレナリンの名付け親でしたが
ノーベル賞はもらえませんでした。
第一回ノーベル生理学・医学賞は
破傷風の研究者でペスト菌の発見者であった「北里重三郎」ではなく
共同研究者として名を連ねただけの「フォン・ベーリング」が受賞しました。
シェークスピアノ時代から猖獗を極めていたペスト菌を
開国したばかりの国からやって来て
いとも簡単に発見した東洋人などは
ノーベル賞の受賞の対象者ではありませんでした。
この頃の欧米人に東洋人に対する偏見・蔑視か無くて
第一回ノーベル生理学・医学賞を
日本人「北里重三郎」に受賞させるような世界であったなら
その後
日本も不毛な戦争に突き進むような馬鹿げた行動に
走る必要はなかったと思います。
私の知っている限りでも「北里」「高峰」以外にも
戦前にノーベル賞を受賞していてもおかしくない人たちがいます。
◎鈴木 梅太郎・・・・ビタミンの発見。C・エイクヤンが受賞
◎野口 英世・・・・・・梅毒スピロヘータの研究。
◎小林 六造・・・・・・ヘリコバクタ菌の発見。ピロリ菌と名付けたバリー・マーシャルが受賞。
◎山際 勝三郎・・・・刺激が癌を生み出すことを発見。「寄生虫説」のフィビガーが受賞。
◎武井 武・・・・・・・・ビデオ・ステルス性能の生みの親。武井理論をなぞったルイ・ネールが受賞。
戦前から日本人は「欧米人と肩を並べて研究ができる」と矜持を持っていましたが
「日本人は業績は良いが顔色が悪い」というのが欧米人の考え方だったと言います。
沖垣先生に聞いたことがあります。
「アメリカで地位や名誉を得た黒人は
若い白人女性を秘書として採用します。
彼女たちでなければタクシーも
止まってくれないからですよ」
地位や名誉を得た黒人は
腰を振って歩かないと
本で読んだこともあります。
「白人何するものか!!!」の
日本人のご先祖の矜持とご先祖の流した血と涙と汗が
現在の建前上は人種に優しい世界を作り出すのに役立ちました。
敗戦の日に ちょこっと そんなことを考えてみました。