ただの相談役 気まぐれブログ

岡山県人になりました
201908.07

アナタの隣りの工務店 倉敷茶屋町ユーリン・ホーム。

『縄文人に学ぶ(上田篤 著・新潮新書)』
を読み終わったのですが
読んでる途中で
「なんでや」と思う個所がありました。

四 土器に魂を込めるという章の
手作り、無釉、切磋琢磨の精神
という小見出しの文中でした。

私としましては
縄文のことを書いた本ですし
縄文土器のことに触れると
当然次は
と思うところがありました。

新たな縄文的文様が創られ
それは須恵器の流れを汲むもののなかにあり
須恵器は陶器であり
無釉の陶器は「陶質土器」といわれ
正確には土器と陶器の中間の炻器(せっき)で
この炻器である須恵器は十一世紀ごろまで
盛んにつくられていた
というところまで読み継ぎ
当然次は・・・。

 ところが奈良時代に鉛を釉薬とした緑釉陶器が現われて(中略)
施釉陶器が日本の陶器の主流になり、猿投(さなげ)から常滑、渥美
そして丹波、信楽、越前、瀬戸の各地の窯が大いに発展するのである。
 また近世には磁器もあらわれ伊万里焼に始まり京焼、九谷焼などと
展開する。

縄文の土器が
イッキにそっちまで行くのかと
憤慨したのですが
読み進めると・・・。

 (略)手作りでしかも釉薬を使わない縄文土器の伝統を受けつぐものがあった。
平安時代の須恵器から発展した(中略)備前焼である。これらも土器ではなく炻器だが、
しかし粘土の結晶性がわずかに残り、また釉薬もかかっていないので多少なりと
空気や水を通すのである。土器の面影を残すものといっていい。

更に続けて

 (略)岡山県備前市の備前焼は(中略)、釉薬はかけず、窯のなかで「酸化焔焼成」
によって器が堅く締めあげられる。そのために器の表面に強い赤みがあらわれ、
そのうえ「窯変」によって千変万化の模様が現出する。それは「炎のマナ」
ともいうべきもので、室町から桃山時代にかけて茶陶として愛され、風炉にも
使われた。今日も花生けや水差しなどに広くもちいられている。

 (略)多くの日本の作陶家たちは腕をふるって各自の情念を注入している。
それは結構なことであるが、(中略)備前焼のように縄文土器そのままに
手作りの形、無釉,そして切磋琢磨するなかに生まれた文様を見せるものがある。

と思っていた以上に
備前焼のことでページを
費やして下さっていた。

この満足度は
私が岡山県人になっている証なのだろうか。

なお「炎のマナ」マナとは
人類学では超自然力のことを言うらしいです。

今の私は毎朝
備前焼の皿に焼いたトーストを置き
備前焼のカップで珈琲を飲み
昼食夕食には
備前焼の小鉢や小皿や茶碗を
使っています。

私は岡山をこよなく愛する
岡山県人になりました。

今日は水曜日です。

これから帰宅して
さて何をしようかな???

執筆者:中井勝人
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