ただの相談役 気まぐれブログ
想像力と家づくり
倉敷茶屋町ユーリン・ホーム。
先般
預かっていた書類を探し
部屋のそこここを
物色していると
柿渋で煮締めたような色の
茶封筒が書棚の隅から
出てきた。
私が25歳の時の
45年前に受け取った
中央大学学員会
京都支部からの
封筒であった。
封筒の中に入っていた
1975年版
中央大学学員会名簿
の頁をパラパラとめくると
千 岑一郎氏
の名前があった。
表千家十四代家元
千 宗左氏で
家元を子息に譲ってからは
而妙斎 宗旦を
名乗られた人である。
千さんが中央大学の
先輩であったことは
すっかり忘れていたので
お名前を懐かしく
眺めてしまった。
千さんと言えば
千家十職の一つ
楽焼の楽家は
京都時代の我が家の
隣りの「上ル」の町内だった。
楽吉左衛門 十五代直入氏は
昭和24年生まれで私の1歳年上
幼稚園・小学校・中学校と
府立朱雀高等学校の先輩だ。
小学校高学年のころ
家の前の油小路通りを
ひょうひょうと歩いている
小父さんに頭を下げると
お茶を習っているお姉さんに
「ぼうやちゃん…
黒田はん知ってはるん」
と尋ねられ
「ウウン…」と
首を振ったことを思い出す。
「黒田はん」とは
千家十職の竹細工師で
代々黒田正弦を名乗り
花入れ・柄杓・茶杓などを
作っている人だと
お姉さんから教えてもらった。
物作りの名人・手練れが
そこここに普通に
偉ぶりもせずに
住んでいる街が
御所西の京都だった。
柿渋で煮締めたような色の
茶封筒に京都のことを思い出し
懐かしんだ昨今だった。