ただの相談役 気まぐれブログ
職人も家を頼みに来る会社
倉敷茶屋町ユーリン・ホーム。
台風11号の進路と強風の具合を
気に掛けながら昨日は1日を過ごした。
風向きと強さによっては
羊歯の路地裏の多くの植物を
室内に取り込む覚悟でいた。
幸いなことに鉢一つ倒すこともなく
台風は通り過ぎていった。
9月のこの時季に台風が来ると
夏目漱石の小説の
『二百十日 野分』が思い出される。
思い出すのは小説の内容ではなく
『野分』という題なのだが‥‥。
中学生のころ文庫本で
漱石の本を揃えたことがあった。
読んで面白かったのは
『坊ちゃん』と『三四郎』だけだった。
漱石の小説で主人公が職業人で
定職を持っている小説は
『坊ちゃんん』と『吾輩は』の苦沙弥先生
ぐらいだった。
他の小説の主人公は高等遊民で
暗い過去を引きずり
人生を突き詰めて生きているような人物が
多かったという印象がある。
『理想の大道を行き尽くして途上に斃るる刹那に、
我が過去を一瞥のうち縮め得て合点が行くのである』
『野分』にも主人公のそんな言葉があったような。
自分が正しいと考える道を生きていると
途中で死ぬ直前に過去を振り返って
これで好かったのだと納得できるものだ。
そんな風に理解していた。
これが正しい読み説き方なのかは
70歳過ぎの未だに分からない。
「お父さんも好きじゃねぇ~
何もこんな日に家から出たり入ったりして
そんなことをせんでも‥‥いいのに‥‥」
昨日は奥さんに笑われながら
ビカクシダの胞子培養の
成長の遅い芽をジフィーセブンを入れた
小鉢2個に植え替えてみた。
去年の10月3日の胞子を播き
今年の4月19日に植替えをし
5月20日にも植替えて
それでも成長が悪いので
小鉢2個に実験的に植替えて
成長の様子を観察するつもりだ。
こんなことでも死の直前に合点するのだろうか。