ただの相談役 気まぐれブログ
こんにちは「倉敷の工務店 ユーリン・ホーム」の
ガマはガマでもワガママのガマです。
「母が無事、松山に着きました。お世話になりました」
と、16日の18:30に従兄弟から電話があり、ホッとしました。
「息子も娘も孫たち(4人)もみんな、みんな優しくしてくれます。
ワタシは世界一しあわせです」
ミチエ叔母はいつも自分に言い聞かせるように言っていました。
その叔母が家を出る時に、私たち夫婦に手紙を書いてくれました。
『勝人さん、和子様、本当にありがとう。
娘二人、きれいで優しいです。
ワタシの孫のように化粧しません。
それでも色が白いです。
和子様にそっくりです。
勝人さんは真っ黒でタバコを吸いすぎです。
お姉さんは世界一しあわせです。さようなら』
叔母は耳が聞こえず、口も聞けない『聾唖者』ですが
祖父母が『読唇術と特殊な発声法』を学ばせる『聾学校』に行かせた為に
あまり『手話』が得意ではありません。
その為、意思の疎通を図るのはもっぱら『筆談』となります。
小中井君も次女も、叔母とよく『筆談』で話をしてくれました。
次女は少し勉強をしていたらしくて『手話』でも会話をしていました。
そんな雰囲気の中で、叔母も気が楽になり、心を開いたのでしょうか、
今まで話した事も無い、ご主人の生前の行状を母と私に話してくれました。
亡くなったご主人も『聾唖者』で散髪屋をしていましたが
けっこう乱暴で性格破綻の面もあったらしいのです。
「そんなん、初めて聞いたわ、ミチエ、可哀想に!」
母が涙を浮かべて悔しがりました。
茶屋町駅の改札口で別れるとき、叔母が私の手を握り、
笑顔で、出ない声をふりしぼって言ってくれました。
「マ ザ ドザン、ア リ ガ ド」
(ミチエさんには、しあわせが一番良く似合う)と感じました。
叔母は、いつも、どんな事があっても「ワタシは世界一しあわせです」
と、自分で自分を励ましながら生きてきたのでしょう。
『しあわせ』は来るモノではなくて、生み出すモノなのですね、ミチエさん。