ただの相談役 気まぐれブログ
こんにちは「倉敷の工務店 ユーリン・ホーム」の
ガマはガマでもワガママのガマです。
朝の4時過ぎにアズキと散歩をしている。
朝といっても4時はまだ薄暗い。
私は東陽中の正門の橋を渡って
汐入川の土手道を早島に向けて歩き
名も知らない神社の周りを
くるりと回って帰ってくる。
ところが3日前から行く道で
早島から猛スピードでやって来る自転車と
すれ違うようになった。
自転車をこいでいるのは少女であった。
最初の日は(明け方まで遊び呆けていたのだな)と思った。
二日目は(今日もなのか)と呆れてしまった。
今日は(朝早くにアルバイトに行っているに違いない)と決め付けた。
小中井君のことを思い出したからだ。
その時のことを短文にしたことがある。
少し長くなるが写してみることにする。
「新聞配達をしたい」と、娘が切り出したのは中学二年生の終業式の日。
見詰め返す視線を娘は逸らそうともしなかった。
「三日坊主と高校の滑り止め受験は許さない。病気怪我は自己責任」を条件として、認めた。
翌朝から、三時半に起床し、玄関の引違い戸をそっと開け、闇にとけていく娘がいた。
「遅い、来月からいらん」と待構えた老人から叱られたと、
まつ毛をしばたたかせた娘がポツリと洩らしたことがあった。
「聞きとうないわ」と母は目頭を押さえながら夕餉の席を立った。
娘の気配を見送り、気配を出迎え、溜息をつき寝室にもどってゆく母の背中を
私は幾度か垣間見ていた。
「子供にアルバイトをさせるほど困ってへん」。
心配しながらも、母の背中は昔と同じように私を非難していた。
中学生だった私は母の言葉に従った。
はばたくのを恐れたという思いが今でも澱となって私の中に残っている。
娘は二月末迄新聞配達をし、約束事は守りきった。
誇らかで寂しくもある早すぎる娘の巣立ちであった。
毎朝会う『不思議な少女』は何をしているのだろうか?