ただの相談役 気まぐれブログ
こんにちは「少人数で頑張っている
倉敷の工務店 ユーリン・ホーム」の
ガマはガマでもワガママのガマです。
U建設の先代は大工の棟梁上がりであった。
「中井さん、どえれい疲れた顔しとるのう」
「今日は3軒の商談をしましたから
さすがに疲れましたねぇ」
「3軒くらいでそんな顔になるんじゃあ
営業に向いとらんのじゃあねえの」
会社に慣れた頃そんな会話を交わしたことがある。
営業の商談がどれほど神経を使うものかを理解しようとせず
平気で営業のプライドを傷つける発言ができる人。
(この人はどこまでいっても職人さんだなァ)
そう思った瞬間だった。
『狎れる』と人と人との付き合いの中で緊張感が失せ
思ってもみない行動を見せ
あるいは見せられることがある。
「己の足元のゴミ一つも
拾えぬ程の人物に
いかほどの事ができましょうや」
これは私の好きな言葉である。
ある人が足元のタバコの吸い柄を
そっと拾い上げてポケットに入れ
屑籠に捨てるのを目にした時
私はその人の人柄の奥床しさに感動した。
信頼するに足る人物だと思い
未だにお付き合いをさせていただいている。
ある現場監督がいた。
入社当初はテキパキとした仕事振りで
営業として契約を頂いたお客さんを
委ねるに足る監督だと考えていた。
その監督が会社に『狎れる』に従って
仕事振りが緩慢になってきた。
「明日にはする」と言っていたことが「明後日」になり
「明後日にする」と言っていたことが「明々後日」になっていった。
その監督の性根が分かったのは
お引渡しの当日にお客さんがこられる前に
新築の家のトイレを無断で使用した時だった。
その監督はただの横着者であり
会社に『狎れる』事で地が表れただけだった。
その監督は
ある現場では上棟日の足場の発注を忘れ
ある現場では上棟日のレッカーの発注をせず
最後に自分が取り付けたフラワーボックスが
引渡し後に落ちてきて
お客さんを傷付けてしまって
会社を辞めざるをおえなくなってしまったと聞いた。
私から言えばその監督の行為は
業務上過失傷害ではなく
横着さがもたらした未必傷害だ。
人と人との交わりにおいて
「親しむ」事は良い事だか
「狎れる」事はしてはいけない事だ
と肝に銘じている。
「失礼な、もお何もしちゃらんから
『親しき仲にも礼儀あり』なんよ、お父さん」
と、奥さんからよく注意される私です。