ただの相談役 気まぐれブログ
こんにちは
「家、こだわれば愛」
倉敷の工務店ユーリン・ホームの
ガマはガマでもワガママのガマです。
昨日の夕食時
例によって例のごとく
ボケて自分で下の始末の
できない父のことを
母が愚痴り始め
「嫌や嫌や、もう死にたい」
と、口癖になっている発言を
繰り返しました。
「死にたい死にたい言うても
しゃぁないじゃないの。
言うても死ねる訳じゃぁなし。
そんなことは長生きしたから
言えることであって
この歳になって
ボクなんか
喜三郎(父方の祖父)さんは
もっともっと生きたいと
思たはったと思うよ。
死にたい死にたいって
贅沢言いな!!!」
少しムキになって
私は言い返していました。
昨日の私は
少し虫の居所が
悪かったのです。
喜三郎さんが
亡くなったのは63歳。
私も63歳。
大工の棟梁で
二級建築士で
大喜工務店の社長で
自分が創業した会社の
後継者もいないまま
死んでいくことに
祖父がどれほど
淋しく悔しかったかに
思いを致すとき
後10年は生きたいと
祖父が願っていたような
気になるのです。
『10年たったら
マサト(私)は21歳
それまでは生きたい』
最近それが
祖父の心の祈りだったと
思えて仕方がないのです。
『お祖父ちゃんは
ボクに会社を
継がしたかった』
「それでもなぁ
こうして工務店を作れたのは
喜三郎さんがいやはったからやと
ホント感謝してるんですは・・・」
ちょっとしんみりして
私が言いました。
「そうや
親のありがたみは
親が亡くならんと
分からんもんや」
父が的はずれなことを
言いながら相槌を打ちました。
こうなると
私の性格の悪さが出てきます。
「ボクも早よ
親のありがたみが
分かりたいもんですわ」
「ホンマや パパ
マサトにありがたみを
早よ教えてあげよし」
母もいつものように素早い反応です。
「ウ~ン もうちょっと
我慢してくれんかなあ?」
「そろそろ限界ですなぁ」
「まぁーそお言わんと・・・
親子の仲やないかいな」
結局我が家の最後は
笑ってチョンでした。
そんなことがあって
今朝の読売新聞の
『編集手帳』を見て
また笑ってしまいました。
父親が息子に説教する。
「親のあるのはありがたいことじゃ。
どれほど金を積んでも、
親は買えぬぞ」。
息子が答えた。
「また、売ろうと思っても
売れぬ」。
うちのオヤジのように
歳を喰って
ますます
食えぬ人間になると
いよいよ
売れませんわなぁ