ただの相談役 気まぐれブログ
こんにちは
「発泡ウレタン注入断熱だけにはこだわる
自由設計の家造り」
倉敷の工務店ユーリン・ホームの
ガマはガマでもワガママのガマです。
最近読んで元気の出た本。
「日本と台湾(加瀬英明 著・祥伝社新書)」
なぜ、両国は運命共同体なのか
「中韓以外 みーんな親日(酒井享 著・ワニブックスPLUS新書)」
クールジャパンが世界を席巻中!
両著とも台湾の人たちの
親日度を語ることから始めている。
「日本と台湾」
台湾にとって「もっとも友好的な国家」は、
56,1パーセントが日本と回答して、
やはり1位に挙げられ、アメリカが2位で続き、
「もっとも非友好的な国」は、
87,9パーセントが中国で1位、
2位が韓国で47,4パーセントだった。
但し、同じ親日といっても
解釈の違いはあった。
加瀬氏は植民地統治時代に重きを置いており
酒井氏は現在の日本の魅力ある点に重きを置いている。
加瀬氏は1936年東京生まれ。
酒井氏は1966年金沢市生まれ。
その年齢差からくるのだろう
1950年生まれの私の考えは
どちらかというと酒井氏に近いと思う。
植民地支配というものは
それがいくら善政であったとしても
被支配者に苦痛を強いるものだと考えている。
「足を踏まれた者の痛みは
足を踏んだ者には分からない」
日本軍が戦争に敗れ台湾を去り
中国国民党が占領軍として統治した時に
「犬が去って豚が来た」
と台湾の人たちが嘆いたと言いますが
「犬」という言い方になにがしの恨みつらみを
日本人としての私は感じています。
加瀬氏と酒井氏の共通認識は
「台湾は支那の属国であったことはない」
「化外の地で国であったことはない」という点です。
私には半分土佐人の血が混じっています。
そんな私のロマンは
昔々フィリッピンやインドネシアの島々に
住んでいた勇敢で剽悍な人たちが
黒潮に丸太舟を浮かべ海流に乗り
台湾・沖縄・鹿児島・土佐・紀州へと
移り住んで行き
その地の住人の性格形成に
多大な影響を及ぼしたということです。
その血が私の中にも流れています。
横井庄一さんは1972年1月24日・グアムで
小野田寛郎さんは1974年2月20日・ルバングで
終戦を迎えられました。
しかし最後の皇軍兵士中村輝夫さんは
1974年12月27日まで戦い続けました。
中村さんは台湾の高砂族です。
そのことを日本人は
忘れてはいけないでしょう。
中村さんには土佐人と同じ勇敢で剽悍な血が
流れていたように思うのです。
2冊とも読みやすく元気づけられる本でした。