ただの相談役 気まぐれブログ
こんにちわ
「発泡ウレタン注入断熱だけにはこだわる
自由設計の家造り」
倉敷の工務店ユーリン・ホームの
ガマはガマでもワガママのガマです。
「とうとう平安が勝ちよったなァ」
「ホンマやのう 勝ちよった」
一昨日の電話はそのように始まりました。
相手は京都の府立朱雀高等学校
楽苦美部(ラグビー部)キャプテンだったT。
我々の世代の京都人は
物心がついた頃から
京都府知事は蜷川虎三
甲子園出場代表校は平安
そのように決まっていました。
その頃の学区制は
6・3・3・1制の小学区制
公立は小学校区で中学・高校と
行く学校が決まっていました。
京都の学力レベルは
進学率の割には低く
6・3・3・1制の1は
予備校のことです。
その小学区制が廃止になり
私学の大学附属の高校の
レベルが上がってきたといいます。
平安高校もいつのまにやら
龍谷大平安になっていました。
府立高校間では格差ができて
わが府立朱雀高等学校は
何ら特色のない人気薄の
高校に低落している
と聞いていました。
「今 スザクはどうなんや?」
「おもろうて人気のある
高校になっとるで」
「おもろいって授業がか?」
「いいや そやのうて・・・・・・・・・・・・」
Tは私には分からないことを
携帯の向こうで話していました。
「ワシらの頃も授業以外は
おもろかったがな」
私の高校生時代は
一日200円あれば
1箱のハイライト70円
1杯のコーヒー80円
1杯の素ウドン50円で
結構幸せでした。
9時頃に登校して
部室に直行すると
弁当を開きます。
弁当を食べ終わると
登校途中70円で買っておいた
タバコの箱をおもむろに取り出し
「赤い腰巻ハラリとといて
ヘソ下三寸開(ひ)~いらいて」
などと言いながらタバコの封を切り
吸い始めたものです。
当時のハイライトは
青色の箱の封を切る部分が赤色で
その赤色のすぐ下に×印があって
×のさらに下に「hi-lite」と大きく白字で
書いてあったのです。
タバコを吸い終わると
校外に出て行き
カウンター席だけで
10人も入れば満席になる
ベストに蝶ネクタイの
初老の店主1人でやっている
喫茶店に向かったものです。
コーヒーはサイホンで入れ
その値段が80円でした。
昼は学生食堂で食べました。
学食といっても
売っているのはウドンかパンで
昼休みと同時に入って行き
素ウドンを1杯たのみ
素早く食べてしまいます。
それから再び人垣の後ろに並ぶと
「オバさん ボクの素ウドンまだかいなァ~」
と大声を出します。
「アレ~アンタのまだやったかいなァ~」
と、これが成功して
もう1杯のウドンに
タダでありつけることもありました。
「お金わいな お金が先やがな」と
バレることも多かったですが
失敗して元々
試したい誘惑に
毎度かられたものです。
このようなことを週に2~3回して
放課後には毎日ラグビーをしていました。
他にもいろいろのことがありました。
おもろくて悔いのない府立朱雀高等学校での
高校生生活でしたよ。