ただの相談役 気まぐれブログ
こんにちわ
「発泡ウレタン注入断熱だけには拘る
アナタに愛相応しい自由設計の家造り」
倉敷の工務店ユーリン・ホームの
ガマはガマでもワガママのガマです。
「日本史が面白くなる『地名』の秘密(八幡和郎 著・洋泉社)」を読了。
6章からなる本の中で
京都のために
「第3章『京都』の地名には謎がいっぱい」
と1章設けられており
さすが「京都」 フムフムと読みました。
私は
「京都市上京区油小路中立売下がる」
で高校卒業までを育ちました。
油小路(あぶらのこうじ)通りと
中立売(なかだちゅうり)通りの
四つ角を南に入った場所に
家がありました。
中立(ちゅうりつ)小学校
上京中学校
朱雀高校と
進みました。
中立小学校の西の学区には
聚楽小学校があり
聚楽の子とは
中学で同窓となりました。
この聚楽小学校は
豊臣秀吉の造った「聚楽第」の跡地に
あったことからの校名と聞いています。
そして
私が育った場所の町名は「甲斐守町」でした。
「聚楽第」が出来た時に
黒田甲斐守長政の屋敷があったので
この町名になったらしいのです。
長政は黒田官兵衛(如水)の息子です。
「油小路中立売上がる」には
「楽焼」の「楽吉左衛門」さんの工房兼自宅もあります。
「聚楽第」を作った時に
ご先祖が瓦を焼いた褒美として
秀吉から「楽」の姓を賜ったとのことです。
楽家十五代当主は
幼稚園・小学校・中学校・高校と
私の1級先輩です。
高校といえば
我が母校「朱雀高校」は
平安京の「朱雀大路」が
今の千本通りであり
その千本通りに近いから
命名されました。
二条城と道を隔てて西隣りにありますから
「二条高校」でも良かったような気がします。
ちょっと古い話をさせると
私でもこれくらいは
話題があるのですから
京都人に「能書を垂れさせる」と
大変なことになります。
ちなみに「甲斐守町」の交通事故は明治の御世に
私の同級生のお祖父さんがチャンバラごっこをしていて
大八車に轢かれたのをもって嚆矢とするらしい。
“レジェンド”です。