ただの相談役 気まぐれブログ
35年のローンを組んでも、建てて良かったユーリンの家。
ユーリン・ホームのガマはガマでもワガママのガマです。
『古文を楽しく読むために』という先日購入した本
この本を読んで、内容を把握したら
古文が楽しく読めるようになるという本で
この本自体が楽しく読める本ではありませんでした。
古文の授業を受けているような気分で
各章ごとに読み進めています。
第六章 ぶらさがるにもきまりがある
――ものの動きを示す語の後ろに来ることば、助動詞の承接について――
『助動詞が文の中で果たす役割を確認するため、ちょっとした遊びをしてみましょう。現代日本語の一文を部品(パーツ)に分けて順不同で提示します。並べ替えて現代日本語としてもっとも穏当と思われる一文に戻してください。
た・花子に・昨日・読ま・太郎は・なかっ・たぶん・自分の携帯のメールを・だろう・せ
いかがでしょう。「たぶん」と「昨日」との決定的な位置を見いだせないかもしれませんが、ほかの部品(パーツ)位置は決定できると思います。』
上記の部品(パーツ)をつないで
一つの文章にするのは
感性的には簡単な作業でした。
しかし
『日本語は動詞を中心として成り立っているものだということです。
助動詞は日本語の一文の構造を決定づけるのに大きく関わっているのです。助動詞だけでは文をつくる成分にはなりません。そのために、助動詞はおまけのように感じられているかもしれません。しかし動詞が示す動作のありようがどのようなものであるのかを細かく表したり、その動作について話し手がどのように判断しているのかを表したりしています。日本語で文末が大事だと言われているのは助動詞ゆえなのです。』
こんなふうに考えながら
文章をつくった訳ではないので
理屈を書かれると難しいですね。
さっきのバラケタ部品を繋げると
以下のような文章になります。
最も標準的な一文を下に書いておきます。
たぶん昨日 太郎は花子に自分の携帯のメールを読ませなかっただろう。
『古文を楽しく読むために』という本は
「楽しく読める本」ではなかったでしょ・・・
ご理解いただけましたでしょうか・・・?