ただの相談役 気まぐれブログ
35年のローンを組んでも、建てて良かったユーリンの家。
ユーリン・ホームのガマはガマでもワガママのガマ。
昨日お昼には少し早いので
『ささおき書店』を覗いたばっかりに
本の衝動買いをしてしまいました。
『「怖い絵」で人間を読む」を手に取って
パラパラとページをめくると
「はじめに」に面白いことが
書かれていました。
『絵画、とりわけ十九世紀以前の絵は、「見て感じる」より「読む」のが先だと思われます。一枚の絵には、その時代特有の常識や文化、長い歴史が絡み、注文主の思惑や画家の計算、さらには意図的に隠されたシンボルに満ち満ちています。現代の眼や感性だけではどうにもならない部分が多すぎるのです。
たとえばドガの踊り子の絵。当時のパリの常識では――現代と全く異なり――バレエはオペラの添え物でしかなく、バレリーナは下層階級出身の、娼婦と変わりない存在でした。それを知っているといないのとでは、ドガの作品が与える印象は一八〇度といっていいほど違ってくるのではないでしょうか。』
・
・
・
(写真・上)
『「怖い絵」で人間を読む(中野京子 著・NHK出版新書)』
【表紙】
この絵のどこが怖いか、わかりますか?
人間こそ、怖い――悪意、呪縛、嫉妬、猜疑、傲慢、憤怒、淫欲、凌辱、狂気・・・・・・
33点の絵画から読み解く、私たちのほんとうの姿。
【裏表紙】
はかなげな、でも奇妙なほど老成した、現世を離れた表情
椅子の背にくたっとおかれた、蝋のような白い手
画家ベラスケスは、
この絵を描いた翌年に急死、
この王子もその翌年に
わずか4歳でこの世を去る。
・
・
・
(写真・中)
『印象派で「近代」を読む(中野京子 著・NHK出版新書)』
【表紙】
光りのモネから、ゴッホの闇へ
時代とともに、絵は変わる。でも、人の心は変わらない。
光を駆使した斬新な描法が映し出したのは、貧富の差をあらわにした近代の闇であった。
(写真・下)
『「絶筆」で人間を読む(中野京子 著・NHK出版新書)』
画家は最後に何を描いたか
ミレーは、どうして、この絵を最後に描いたのか?
ボッティチェリから、ゴヤ、ゴッホまで――15人の画家 「絶筆」の謎に迫る!
『「印象派」は嘲り(あざけり)だった
まさしくあくひょうさくさく。中でもルロワという評論家は新聞で、「この絵はいったい何を描いたのか?」「描きかけの壁紙だってこれより完成度がが高い」「さぞかしここにはたっぷり印象が入っているのだろう」と揶揄し、展覧会に出品した画家たちを「印象派」とよんだのです。つまり印象派とは――バロック(歪んだ真珠)と同じく――最初は嘲りだったわけです。』
別の本でも
このような秘話を読むと
どうしても中野京子さんの本を3冊とも
買ってしまいたくなってしまいます。
私の困った性癖です。