ただの相談役 気まぐれブログ
35年のローンを組んでも、建てて良かったユーリンの家。
ユーリン・ホームのガマはガマでもワガママのガマです。
今朝のNHKの「あさが来た」を見ていますと
甥の藍之助(?)が丁稚奉公をする場面がありました。
あの時代
丁稚奉公というのは年季奉公で
『銀行勤めに適うのかな?』と
幾分
不自然に感じました。
最近読んだ本で
私が最も興味を引かれた「職人衆昔ばなし」の
職人たちのほとんどが10代半ばには
親方の元に丁稚奉公に入っていました。
田丸惠三郎
明治三十六年渋谷の生まれ。十二歳から
本郷春木町の小島で年季奉公。
七年の年季を十年勤めて
二十二歳で麻布一連隊に入隊。
「畳屋惠さん昔話」
十二といやァ今なら児童福祉法にひっかかって犯罪者にならァ。
そんな年に奉公に入って、年季のあけたのも知らねえで
礼奉公までしてるってんだから、我ながらあわれな話だァな。
(略)
「年季契約ヲ以テ差シ出シ候ニ付テハ貴殿御家風ハ申スニ不及(およばず)、
御指図堅ク相守ラセ可申候(もうすべくそろ)」
(略)
「一ツ、年季中貴殿ノ承認ナク本人身儘(みまま)二出奔致シ候カ、又ハ当方ノ都合上御暇請候節二ハ、
最初ヨリ其当時迄ノ食費ヲ賠償金トシテ弁金可致候(べんきんいたすべくそろ)」
ってんだよ。当時のどんな諸職の小僧たちも、みんなこんな契約書にふん縛られて年季奉公に出たもんさ。
だから、そんなふうにして年季奉公に入った小僧が、人間扱いされるわけのあるわけもねえ。
私の父の勝は大正11年生まれでしたが
叔父の喜三郎が子無しの為に
7歳で養子身迎えられました。
しかし
養子と言ってもさせられたことは
大工の丁稚と同じように朝の掃除からで
手はすぐにアカギレになって
一度様子を見に来た実母が
自分の手で父の手を包みくるんで
涙を流していたといいます。
「丁稚は小遣いをもらえるだけ
うらやましかった」と
父が遠くを見るような眼差しで
言ったことを思い出しました。
昔の人は我慢強くなければ
生きていけなかったんでしょうね。
丁稚奉公に出されたら
私なんかだと
絶対にヤサグレていますよ。