ただの相談役 気まぐれブログ
ユーリン・ホームの建てる家は
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昨日で大相撲春場所が終わりました。
白鵬の36回目の優勝でした。
白鵬が日馬富士に勝った瞬間、
私はチャンネルを変えて
優勝杯の授与式は見ませんでした。
春場所では大相撲とはなんだ?
大相撲とは勝てばよいのか?
と思う取り組みが
多く見受けられました。
その最たるものが
春場所千秋楽の
白鵬・日馬富士の
取り組みでしょう。
稀勢の里も豪栄道も
立ち合いの変化で
相撲に勝つ場面がありました。
大関という地位にありながら
変化相撲で勝って欲しくはありません。
まして
横綱が横綱にたいして
勝つためだけに
変化相撲を仕掛けようとする
その心映がおぞましいのです。
琴勇輝という相撲取りが
「ホウ」と吠えるようなパホーマンスをする癖に
立会いに相手力士に息を合わせようとしないで
十分腰を割っているのにも関わらず
立ち上がろうとせずに相手を焦らし
2度目の立ち合いで先手を取り
妙義龍・勢を押し出した相撲も
(勝てば自分勝手に何をしても良いのか)
と思って苦々しく見ていたものです。
(相撲内容の劣化も甚だしい)
と幾度も思った春場所でした。
江戸時代に
雷電為右エ門
という相撲取りがおり
あまりにも力が強すぎて
「突っ張り」「張り手」
「閂(かんぬき)」「鯖折り」を
禁じ手にされていました。
雷電は
群を抜いて強かったのに
横綱にはなっていません。
『相撲で人を殺してしまったため』
という言い伝えもあります。
横綱とは『勝てば良い』
だけの立場ではないのです。
大相撲は先ずは神事
そして
武道であって興業であると
私は考えています。
神聖さを失えば
興業としても廃れてくるのは
間違いありません。
その予兆を感じます。
昭和40年度京都市中学
選手権総合体育大会
すもうの部
京都市教育委員会
左の盾は
私が中学3年生の時に
京都市の相撲大会で
団体優勝したときに
頂いたものです。
京都の府下大会でも
団体優勝したのですが
手元には何も残っていません。
松尾神社杯・梅野宮神社杯という
奉納相撲でも優勝しました。
相撲はやはり神事なのです。