ただの相談役 気まぐれブログ
ユーリン・ホームの建てる家は
断熱材を発砲ウレタン注入にして
長期優良住宅仕様を標準にしています。
私は昭和25年(1950年)生まれです。
誕生日が来ると66歳になります。
団塊の世代に数えられるのかどうか
微妙な年の生まれでですが
日本という国がまだまだ貧しい国で
子どもたちもまだまだみすぼらしかった時代
ということだけは確かでした。
家にはゲームどころかテレビもなく
『子供は風の子』でみんな外で遊んでいました。
そして 冬には
一様にみんな風邪をひいていたのでしょう
水洟を垂らして遊び 水洟をすすりながら遊び
水洟を袖口でこすりながら遊んでいましたから
一様にみんなの袖口は銀色に輝いていました。
しかし
それは汚いことではなかった。
汚いこととは行動にあった。
少し豊かな家の子供も
本当に貧しい家の子供も
富に貴賤があるのではなく
行為で貴賤が決められた。
みんなから「汚い」
という指摘をうけると
もう子供の社会では
相手にされなかったのです。
子どもには子どもの
ルールがあり 約束があり
それは 子供たちが
見ていようと 見ていなかろうと
守るべきものとして存在していました。
おおむね「汚い」とは 自分だけ
不正に得をしようとする行為でした。
今朝の読売新聞の「よみうり寸評」。
批評の対象は別のことなのですが
池波正太郎さんの『鬼平犯科帳』の
鬼の平蔵の言葉が書いてありました。
獣には人間の言葉が通じねえわさ。
刈り取るほかに仕方はあるまい。
年齢67歳の都知事が「汚い」ことをしていました。
名前も書きたくないその人物は
子どもの時に何を学んだのでしょうね。
刈り取るほかに仕方はあるまい。