ただの相談役 気まぐれブログ
ユーリン・ホームの建てる家は
断熱材を発泡ウレタン注入にして
長期優良住宅を当り前の標準にしています。
午前3時前の
我が家に落ちたかのような雷鳴で
今朝は飛び起きてしまいました。
見知らぬ人には強いが
雷にはカッラキシ弱いシバイヌのアズキは
庭で助けを求めてキャンキャンと悲鳴を上げているし
クッションタイルの床に寝そべっていたフレンチブルのタントは
慌ててベットに飛び上がって来て
ブルブル震えながらすり寄ってくるし
老いても荒ぶる魂を持つパグのミントは
階下でワンワンワンワンと天に向かって吠えまくっているし
私は二度寝どころではありませんでした。
そんな時 ちょうど手元にあったのが この本です。
表紙に黒のフレンチブルの写っている本。
『人生はワンチャンス!
Only One Chance at Life
「仕事」も「遊び」も楽しくなる65の方法
(水野敬也+長沼直樹・文響社)』
奥さんがずっと以前に買っていて
読む本が無いので昨
晩手に取っていた本です。
気楽に読めて
肩の凝らない内容の本です。
本の中で
黒のフレンチブルが載っているのは
HAPPINESS(幸せ)の章。
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子どものころに、なりたかったものは?
Remember your childhood dreem
[クリスチャン・ディオール] ファッションデザイナー 1905~1957
クリスチャン・ディオールは子どもの頃、何よりもカーニバルを
楽しみにしていました。彼の目当ては「仮装」で、妹に貝殻で
作ったドレスを着せて「ネプチューン」に仕立て上げたり、
タータンチャックの柄を色鉛筆で作ったり、子どもとは思えない
才能を発揮していました。しかし、彼は外交官になってほしいという
両親の希望を受け、政治学校に進学。卒業後は芸術に携わる仕事が
したいと画廊を持ちますが、2年で手放してしまいます。その後、
デザインの下積みを続け、彼が独自のファッションブランド『Dior』を
立ち上げたのは41歳のときでした。
子どものころになりたかったものを思い出してみましょう。情熱を
傾けられる分野が、そこに眠っているかもしれません。
この文章を読んで
『子どものころに、なりたかったもの』
を考えてみたのですが
何も思いつかなかったです。
十で神童 十五で才子 二十歳過ぎれば只の人
今日はこれから
総社のT部様邸新築間取りプラン④
に取り掛かります。
子どもの頃には考えてもいなかった仕事に付いていますが
これも父方の祖父の魂が導いてくれたからだと信じています。
今では住宅業が天職と思っています。