ただの相談役 気まぐれブログ

名前の通字 
201701.12

ユーリン・ホームの建てる家は
断熱材を発泡ウレタン注入にして
長期優良住宅を当り前の標準にしています。

昨日 
火盗改の長谷川平蔵宣以(のぶため)の事を
読んでいて『そうだった』と
思い出した事がありました。

鬼兵と呼ばれたのは宣以で
お父さんの長谷川平蔵宣雄(のぶかつ?)も
火盗改を勤めていたけれど
鬼兵とは呼ばれてはいなかった事。

昔の人の名前には家で代々使用する『通字』というものがあり
長谷川家では『宣(のぶ)』がそうだったのだという事。

そして
今朝から読んでいる『ビジネスエリートの新論語
(司馬遼太郎 著・文春新書)』の中に
  サラリーマンの元祖
   益なくして厚き録(ろく)をうくるは窃(ぬす)むなり(大江広元座右訓)
で大江広元の名前を見つけたとき
長州毛利氏は大江氏から派生した一族で
元就・隆元・輝元などの毛利家の通字『元』は
広元がらいただいているのだと納得したものです。

おそらく
長州毛利家の現当主も名前の一字に『元』と
お使いになっておられることでしょう。

そんな『通字』で思い出した徳川家の事。

松平竹千代が元服したときに
今川義元から一字をもらって元信と名乗りました。

その後 織田信長を嫌った義元に遠慮をして『信』の字を止め
祖父の松平清康の一字とくっ付けて元康と名前を替えました。

義元が織田信長に打たれたのちに
今川の傘下から離れ独立したとき
松平元康としては松平を徳川に改姓し
源氏の流れを汲む一族に連なろう
意識したのだと思います

清和源氏の流れを汲む得川に似せた徳川を姓にして
清和源氏の中でも本流の八幡太郎義家の『家』を
徳川家の通字にしたのでしょう。

徳川への改姓と
家康への改名で
徳川家康は
源氏長者・征夷大将軍・源家康
になれたのです。

徳川家康の息子たちの名は
信康の信は織田信長の信。
秀康の秀は豊臣秀吉の秀。
秀忠の秀も豊臣秀吉の秀。
忠吉の忠は徳川秀忠の忠(松平姓だから秀忠の臣下としての忠)。
信吉の信は武田の通字の『信』(姓を武田と名乗る)。
忠輝は忠吉と同様に秀忠の忠。
義直は徳川姓なので源氏の通字の『義』。
頼宣も徳川姓なので源氏の通字の『頼』。
頼房も徳川姓なので源氏の通字の『頼』。

信康・秀康・秀忠と息子たちを名付けたの頃は
まだまだ
忍従時代の家康でした。

忠吉以降の息子の名前は
誰に遠慮をすることも無く付けたと思うのですが
姓が松平と徳川とでは付ける名前が違っています。

徳川姓の息子には
清和源氏の通字に拘っていると考えるのは
深読みすぎるでしょうか?

ちなみに我が家の本家筋の通字は『久』だったそうですが
私と弟と息子の通字は『人』です。

勝人・義人・自人・・・ それがどうした!!! ということです。

執筆者:中井勝人
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