ただの相談役 気まぐれブログ
オンリー・ワンの家造り 倉敷茶屋町ユーリン・ホーム。
新潮新書の『1985年』は予想どうり
吉崎達彦氏の文章が平易で
読み易くて面白い本でした。
1960年生まれの吉崎氏が2005年に
1985年の日本を描いておられました。
『これも有だな』と過去と言うには
近い昔をを回想しながら
読ませていただきました。
ちなみに1985年は
1950年生まれの私は35歳で
オトンボで長男の生まれた年でした。
『右肩上がりの発展を続ける戦後日本がたどり着いた
「坂の上の雲」。それが1985年という年だった。プラザ
合意、米ソ首脳会談、NTTの誕生・・・・・・この年を境に
日本と世界は確実に姿を変えていく。』
この本の
『第3章 世界~レーガンとゴルバチョフの出会い』
『当時のアメリカの雰囲気を知るためには、
当時を代表する人物を思い起こすのが早道であろう。
〇リー・アイアコッカ
〇テッド・ターナー
〇ドナルド・トランプ
あのクリントンや現ブッシュ大統領と同じ1946年生まれの「ベビーブーマー第一世代」。
28歳で独立してマンハッタンで不動産業を始める。1983年には「世界一豪華なビル」
トランプ・タワーを五番街に建て、全米の話題を呼ぶ。不動産デベロッパー、ホテル経営、
カジノ経営でも成功を収める。
80年代のヤッピー文化やバブル経済を象徴する一人。その後の人生では浮き沈みが
つきまとうが、少なくともこの時代は得意の絶頂にあった。』
ドナルド・トランプ氏を80年代を代表していた人物として
吉崎氏が取り上げておられました。
この時代のその後のその後に『アメリカ大統領』になるとは「神のみぞ知る」だったわけです。
この第3章にレーガンがゴルバチョフに逢ったとき披露した小噺が書いてありました。
アメリカ人が言った。「わが国には偉大な民主主義がある。誰でもホワイトハウスへ行って
大統領に面と向かって『レーガンは馬鹿だ』と言えるんだ」。
それを聞いてソ連人が言った。「ソ連でも同じことができるさ。誰でもクレムリンに行って
書記長に向かってこう言える。『レーガンは馬鹿だ』ってね」。
この小噺を読むと
「安倍に言いたい。オマエは人間じゃネエ、叩き斬ってやる!」と発言した
大学教授の品のなさと甘えがよくわかります。
この本が書かれた2005年から更に12年経過し
私も誕生日を迎えると67歳になります。
歩んできた人生は
波乱万丈と言うには山脈(やまなみ)ほどの起伏は無く
平々凡々と言うには波風の絶たないことが無かったものでした。
人生いろいろ 男もいろいろ
女だって いろいろ 咲き乱れるの