ただの相談役 気まぐれブログ
アナタの隣りの工務店、倉敷茶屋町ユーリン・ホーム。
大学同窓のサンデー毎日・小林君からメールがきました。
ブログをみていたら、
小諸懐古園近くに
「惜別の歌」の歌碑があり
その作曲者が中大OBで
「惜別の歌」が中大の
学生歌であることを
初めて知りました。
ワンゲルに入った時に、
中大校歌、応援歌などと
一緒にこの歌も教えられ
みんなと歌いました。
歌は苦手で
覚えていませんが
この歌だけは格別で
心に沁みて残っています。
藤村の詩ですので
明治の頃の歌だと
思っていました。
しかし、ブログによると昭和19年に作曲され、勤労動員された工場で口ずさんでいる内に自然にみんなが
口ずさむようになっていき、そして召集令状がきた戦場に赴く学友の送別歌として歌われるようになった
そうです。
ワンゲルの山小屋が群馬県の鹿沢温泉にあり、軽井沢から浅間山を登って小屋に入った時には湯の丸高原を
越えて懐古園まで歩きました。50年近くも経ってワンゲルと「惜別の歌」と懐古園がはっきりと繋がっていることが
分かりました。分かったからと言って何も変わらないのですが。
年を取るとやたら感謝したり、涙もろくなりますが、この話もなかなかです。ではお元気で。
比企の丘
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遠き別れに 耐えかねて
この高殿に のぼるかな
悲しむなかれ わが友よ
旅の衣を ととのえよ
別れといえば 昔より
この人の世の 常なるを
流るる水を ながむれば
夢はずかしき 涙かな
君がさやけき 目の色も
君くれないの 唇も
君がみどりの 黒髪も
またいつか見ん この別れ
君がやさしき なぐさめも
君の楽しき 歌声も
君の心の 琴の音も
またいつか聞かん この別れ
私は葬送の曲として
私の葬儀の時に
「惜別の歌」を
流してくれるように
千に頼んでいます。