ただの相談役 気まぐれブログ
アナタの隣りの工務店 倉敷茶屋町ユーリン・ホーム。
【神様の住所(九螺ささら 著・朝日出版社)』の頁を
気楽な気持ちで時々開いています。
今朝この章を読みました。
41 漢字
中央分離帯にじっと植わっている躑躅の五十にひとつが髑髏
躑躅(つつじ)と髑髏(どくろ)は似ている。
蒲公英(たんぽぽ)と蒲鉾(かまぼこ)も似ている。
饂飩(うどん)と愚鈍(ぐどん)は兄弟だ。
匍匐(ほふく)前進は葡萄(ぶどう)に向かって進む。
鞦韆(しゅうせん)とはブランコのことだが、三橋鷹女の名句、
鞦韆は漕ぐべし愛は奪うべし
以外での使用例をを見たことがなく、「鞦韆」は一見まるで「靴鞄」である。
子供の頃、「若干名」を「魚の干物」だと思っていた。
なぜ大人は干物をそんなに集めようとしているのだろうと、〈若干名募集〉の求人
広告を見て不思議だった。(後略)
私は幼い頃 ご近所の玄関の標札の上に
「遺族の家」と書いた木札が張ってあるのを見て
我が家がそうでないことをさびしく思いながらも
やはり京都には高貴な家が多いのだと
変に満足していたものでした。
哀しいことに「遺族」と「貴族」の違いが
分からなかったのです。
「扁桃」 = 「アーモンド」
「砂糖天麩羅」= 「ドーナツ」
「香蕉」 = 「バナナ」
「牛酪」 = 「バター」
「乾餅」 = 「ビスケット」
「木精} = 「メチルアルコール」
「大熊猫」 = 「ジャイアントパンダ」
『神様』の本には
上記のようなことも書いてありました。
一青窈は「ひととよう」なら、朝日笑を「ごきげんよう」と読んでもいい。
これは感性の違いで
いまだに頭を捻っていますが
軽く読んで 言葉遊びで
面白く頭を使うことのできる本です。
いつも近くに置いてある本です。