ただの相談役 気まぐれブログ
オンリーワンの家づくり
倉敷茶屋町ユーリン・ホーム。
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一昨日の19日(木)は午後から
真備図書館のF井女史が来て
1階応接間の書棚の本を
全て持って帰った。
空いた書棚を見るのは
やはり辛かった。
しくじったと思ったのは
残そうと考えていた
新書本以前の渡部昇一氏の本
『知的生活の方法』が
見つからなくなって
しまったことだ。
高校生の時に読んだその本で
本は自腹で買うもので
買った本は手元に
置いておかなければいけない
と信仰のように信じた。
大学教授が蔵書を手放し
『知性が痩せ細っていった』
という挿話に
強く影響を受けたものだ。
『寂しいな~』と思いつつ
一昨日の夜 新潮新書の
『人間の器量(福田和也 著)』
を開いた。
新井白石の自伝、『折りたく柴の紀』
の冒頭、父正済(まさなり)傷寒(チフス)
に罹った時、薬を贖うことを禁じて、
従容と死を迎えようとする場面があります。
(略)正済は、若い頃傾き者のような暮らし
をしたり、(略)かなり客気の強い人で、(略)
その父にして寿命と弁えれば、医師の手を
煩わせずに死んでいこうとする。家族も
また、悲しみつつそれを見守っている。
年わかき人はいかにもありなむ。
よはひかたぶきし身の、いのちの
限りある事をもしらで、薬のために
いきぐるしきさまして終わりぬるは
わろし。あひかまえて心せよ。
上記が正済の言葉だ。
若い人ならば仕方がないが
70歳にもなった今の私の心境を
代弁してくれる正済の言葉だった。
生きる為に見苦しい様子を
見せたくないと思っている私が
何をいまさら本の1冊や2冊の
『見付からざるを悔いんや』
の境地に少しは近づけた読書だった。