ただの相談役 気まぐれブログ
オンリーワンの家づくり
倉敷茶屋町ユーリン・ホーム。
「お父さん‥‥
次々次々出てくるんだけど
どうするの?‥‥
置いておくの捨てるの‥‥?」
奥さんが食器棚を整頓していると
木箱や紙箱に入った食器が
後から後から出てきた。
『何やこれは‥‥?』
そんな中
ある木箱の箱書きが目についた。
おそらく私のために
揃えた物だろう。
一昨日の昨日だから
不思議な因縁を感じた。
もう3日早ければカズトに
『使えたかもしれないのに』
と残念でもあった。
。
『御たべ初め』
と書かれた木箱
箱から出てきたのは鶴亀の
赤飯用の茶碗と汁物用と
主菜用と副菜用の4点の
陶製の器だった。
昭和25(1950)年は
まだまだ日本が貧しくて
本膳が一汁三菜ではなくて
一汁二菜だったのか。
はたまた
茶碗の鶴の蓋だと
考えている物が
蓋ではなくて
副菜用の器として
使ったものなのか
私には判らない。
ただ
蓋だと考えた物が
副菜用の器なら
器の内側に
鶴の文様が入っている
とも思ったのだが。
『一生食べるのに困らないように』
そんな想いで私のために
用意してくれたのだという
両親や祖父母の気持ちは
熱く伝わってきた。
。
カズトに着せた祝い着が
陰干しされていた。
生きているということは
誰かに借りをつくること
生きてゆくということは
その借りを返してゆくこと
確か‥‥永六輔さんの言葉だった。
確かに‥‥と感慨にふけった。