ただの相談役 気まぐれブログ
オンリーワンの家づくり
倉敷茶屋町ユーリン・ホーム。
今朝
解体工事前に実家に行くと
和鋏(わばさみ)や竹サシなどの
和服の仕立て道具が
居間の広縁に
ぶちまけられていた。
その中に黄白色のヘラが
混じっていた
母方の祖母の藤子さんが
大切にしていた乙女ヘラだった。
。
「本象牙のヘラよ‥‥
和裁を始めた時に
父親代わりの兄さんが
日本一の上手になれって
最高の道具を一式
揃えてくれたんよ‥‥」
明治生まれで
身長150㎝にも満たない祖母が
小さな手で操るヘラが
何故か眩しくて
じっと眺めていたものだ。
私が大きくなっても
祖母はヘラの来歴を
謡うように
語っていたものだ。
祖母の作る和服は体に馴染むと
注文が途切れなかった。
「このお方の仕立た和服を着たら
他のお人の仕立てたのは着れまへん」
ある有名なお茶の宗匠などは
祖母を離さなかったという。
年老いて縫製を辞めるまで
気儘な性格で人と反りが合わずに
次々と変わる祖母の移転先に
反物を届けていた呉服屋の大将に
私は何度か逢っている。
祖母のヘラなどは
すっかり忘れていた。
両親が京都から持って来ていて
茶屋町の家に置いてあることさえ
知らなかった。
孫たちの中でじっくりと
祖母の華奢な手のヘラ遣いを
見たものは私しかおるまい。
今の孫の大人(ヒロト)と同じ
3歳の頃の私は
藤子さんが母よりも好きで
母の結核療養のために
母の実家で住んでいた頃は
藤子さんが帰宅するのを
数寄屋門の柱に寄りかかって
いつまでも待っていたものだ。
藤子さんも誰よりも私を慈しみ
甘やかせてくれたものだ。
捨てることのできない
藤子さんの本象牙のヘラだ。
見つけることが出来て好かった。