ただの相談役 気まぐれブログ
1から10まで相談住宅
倉敷茶屋町ユーリン・ホーム。
「ナカイさん‥‥昼から家におる?」
坂東氏から電話を貰ったのは
丁度『美(ハル)』で散髪を
やり終わった時だった。
「昼からそっち方面に仕事で行くから
2時から3時頃‥‥家に顔を出しますわ」
「2時頃に来る」と言ったものだから
チヒロもチハヤも家に来て
2時過ぎから奥さん共々坂東氏を待っていた。
娘たちにとって坂東氏は
生まれた時から身近にいる
小父さんならぬ
叔父さんのような存在なのだ。
坂東氏が白十字のショートケーキを持って
やって来たのは2時半頃だった。
「どうしたん‥‥みんな集まって」
「これが坂東さんとの今際(いまわ)の際に
なるかもしれんから集めといたわ」
「なんじゃい‥‥それは」
言いながらも破顔一笑
坂東氏は娘たちのいる食卓に
叔父さん然として腰を掛けた。
奥さんが捧げるようにコーヒーと茶菓を
坂東氏の前に置いた。
坂東氏はいつになく多弁だった。
まずは
今年享年102歳で見送った
私の父と同い年の大正11年生まれの
御母堂の思い出話に花を咲かせた。
華のニッパチ生まれの69歳だが
ガンで胃を半分以上摘出している坂東氏としては
『親不孝をしなくてよかった』という思いが
どこかにあったのだと我が事のように感じた。
それから岳父で都不動産の前社長の
三宅氏との日常生活のことに話は進んだ。
「上皇さんと同い年(89歳)やゆうのに
『社長は辞める‥‥会社には出勤せん』
と言うて休んだんはⅠ週間だけで
毎日出てきて週に1度はゴルフにも行くし
ウチラよりもよっぽど元気ですわ」
坂東氏がいつもの前振りから
微苦笑を交えて話す三宅氏の日々の言動は
相変わらずだった。
短気でせっかちでその癖
坂東氏曰く『意外と小心者』の三宅氏は
自分が贈呈した自叙伝に
謝辞と感想文を贈った唯一の者として
「ナカイさんを好いて‥‥」
下さっているそうな。
私に中のレジェンドの三宅氏に
『好意を持って頂いて光栄だ』
と私も思っている。
小心者でないと
経営者としての成功はおぼつかないものだ
「坂東さんはそれでもお義父(とう)さんが
大好きなんでしょうね‥‥」
坂東氏が帰った後
チヒロがポツリと思いを漏らした。
「そらそうやと思うよ‥‥
震災後に明石に行って
都不動産を1から作って成功させたけど
その礎は岡山の都があってのことやし
裸一貫で資金もなしに明石の都を
坂東さんが作れたかって考えたら‥‥
坂東さんは自分が会社を作っただけに
三宅さんの偉さがよう分かるんちゃうかなぁ~」
『坂東さんは岳父の三宅さんに
愛情と畏敬の念を持っている』
私もチヒロと同じ思いだった。
そして『坂東さん‥‥
オレにアンタを見送らせるな‥‥」
私のお願いだ。