ただの相談役 気まぐれブログ
一棟一棟 手仕上げ住宅
倉敷茶屋町ユーリン・ホーム。
昨日は
売却された家の鍵を受け取るために
運船不動産のマコちゃんが
岡山の京山の加藤邸に行く日だった。
加藤秀子さんも昨日を最後に
13時の新幹線で岡山を離れると
聞いていた。
おそらく今生の別れとなるであろう。
別れの挨拶のために
マコちゃんに同行した。
私が住宅営業をしていた時
建部で家をお建て頂いた
M 本さんの奥さんの紹介で
女史と知り合った。
ご主人は一流企業勤務で
家造りはメイカー志向だったと
私は思っている。
M本さんがおっしゃたからと
私とチヒロの二人で設立して
3年目の施工棟数も数件の
ユーリン・ホームを
女史は頭から信頼してくださった。
そこいらの軟弱な男より任侠の
美しい女丈夫であった。
ユーリン・ホームも女史の熱意と
信頼にに答えようと最高の家造りを
目指した。
土地は女史が探して下さった。
間取りは女史と私で考えた。
施工現場の監督はチヒロがした。
チヒロはその時
玉島栢島・玉島長尾・倉敷羽島
そして岡山京山と
新築4件の監督をし
車で一日200キロを走行する
忙しさだった。
「チヒロちゃんの好きなように
作ってくれたら良いわよ‥‥」
設備などを即断で決めていく女史は
施工に関してはすべて新米監督の
チヒロ任せだった。
当時 女史の家の施工現場は
チヒロの癒しの場所だったそうな。
大大大好きで憧れの女史と
現場で逢うのが楽しくて
自分で考えた施工の詳細を
説明するのが誇らしかったと
チヒロは回想している。
「腕を組みましょうか‥‥」
マコちゃんにお願いをして
伽藍洞となった加藤邸で
女史との写真を撮ってもらった。
雄々しくも愛おしい性格の
加藤秀子さんとの
最後の記念の日だった。