ただの相談役 気まぐれブログ
一棟一棟 手仕上げ住宅
倉敷茶屋町ユーリン・ホーム。
昨日は
柳井原の五体堂の長谷川さんに
奥さんと施術を受ける日だった。
私が受け終わり
奥さんの終了を待っていると
ナンバさんから忘年会の件で
電話があった。
「まだ若いのに火野正平が
亡くなりましたなぁ~」
電話の内容は世間話に移り
ナンバさんが突然切り出した。
「そうじゃなぁ~
ボクの一つ上じゃもんねぇ~
若いっちゃ‥‥若いわなぁ~
『にっぽん横断こころ旅』を
毎朝楽しみにしとったのになぁ~
残念じゃわなぁ~
それでもなぁ~ナンバさん‥‥
この間高校の同窓会の
写真が送られてきたけど‥‥
物故者が48人もおったわ‥‥
卒業生が300人やから
15%が死んどることになる‥‥
遅かれ早かれちゅうこちゃ」
物故者と言えば
元横綱の北の富士も亡くなった。
北の富士では
忘れられない相撲が二つあった。
一つは『福の花関』との取り組み。
福の花の右の張り手が
横綱の左の顎に炸裂して
北の富士は砕けるように
土俵に腰から崩れ落ちた。
『すごっ‥‥
ノックアウトじゃが‥‥』
『フックの花』
翌日のスポーツ新聞に
見出しが躍っていた。
一つは『貴ノ花関』との取り組み。
横綱の手が
『かばい手』か『つき手』かと
問題になった。
私は貴ノ花の腰は生きており
『つき手』で軍配通り
北の富士の負けだと思った。
物言いがついた結果は
行事差し違い。
『かばい手』で
北の富士の勝ちとなった。
「あの道楽者が
相手をかばうものか」
そんな巷の声もあった。
道楽者と言えば
火野正平さんも道楽者であった。
だが何故か
二人とも愛嬌があり
男の色気に満ちていた。
北の富士関と火野正平さん
人生の先達(せんだつ)を失い
寂しく悲しい限りだ。
一昨日から 趣味部屋の
ビカクのハンギングを
随時風呂の残り湯に
漬け始めている。
ドボンをする前の
アルシコルネの姿が
良かったので
写真に撮っておいた。