ただの相談役 気まぐれブログ
手間暇かける家造り
家の町医者ユーリン・ホーム。
昨日は一歩も外出せずに
ビカクの30分ごとのドボンと
撮り溜めたビデを鑑賞の日だった。
磯田道史氏が司会の
『英雄たちの選択』
『与謝野晶子』も観た。
与謝野晶子の『君死にたまふことなかれ』
―旅順口包囲軍の中に在る弟を嘆きて―は
小学生の頃の私が一番最初に『暗唱しよう』
と思った長詩だった。
あゝをとうとよ、君を泣く、
君死にたまふことなかれ、
末に生まれ̪君なれば
親のなさけはまさりしも、
親は刃をにぎらせて
人を殺せとをしえしや、
人を殺して死ねよとて
二十四までを育てしや。
堺の街のあきびとの
旧家をほこるあるじにて
親の名を継ぐ君なれば、
君死にたまふことなかれ、
旅順の城はほろぶとも、
ほろびずとても、何事ぞ、
君は知らじな、あきびとの
家のおきてに無かりけり。
私は何故か第五章の詩に
秘めやかなトキメキ感じたものだ。
暖簾のかげに伏して無く
あえかにわかき新妻を、
君わするるや、思へるや、
十月も添はでわかれたる
おとめごころを思ひみよ、
この世ひとりの君ならで
あゝまた誰をたのむべき、
君死にたまふことなかれ。
何故か小声で繰り返し
口遊(くちずさ)んだものだった。
この第5章は
『少年少女文学全集』には
載っていなかったと記憶している。
どこで手にした詩集なのかは
判然としない。
今から思えば
中学生になってから入手した
与謝野晶子の詩集だったかもしれない。
とすると
小学生の時には口遊んではいない。
『あえかにわかき』という文言には
今でも肩を抱き締めて遣りたいという
思いに駆られる
小学生では早すぎるような気がする。
記憶とは曖昧なものだ。
鎌倉や 御仏なれど 釈迦牟尼は
美男におはす 夏木立かな
与謝野晶子の中では最も好きな短歌だ。
私の心の中で 大学生の頃の
未だに金剛石のように固く輝く女性との
鎌倉での思いでと共にある短歌だった。
釈迦如来は我家の宗派の
臨済宗妙心寺派のご本尊でもあり
いささか嬉しくもあった。
鎌倉の大仏様は阿弥陀如来で
与謝野晶子が後々
『釈迦牟尼』を『お姿』と
代えていたので少なからず落胆した。
『阿弥陀様』では字余りで
『釈迦牟尼』にしたのだろうか。
いや やはり
与謝野晶子の美学であったのだろう。