スタッフブログ
向田さんと川中島
201309.05
こんばんは。
今日は、入れ替わり立ち代わり、
いろんな方とお話した千です。
解体中に、お隣へ瓦の大きな破片が飛んでったということで
午前中は、倉敷のS様邸現場に
朝イチ行き、早く行き過ぎて誰もおらず、
お客様とおしゃべりして帰り、
実家へ帰り、昨日の代休をとっているガマさんと
再訪問。
昨夜、片岡さんが見に行って、
ネットの張り方が悪いことを確認し
それを解体屋さんにも伝えてあったので
ガマさんと行ったときには、既にネットを
やり直してくれていました。
足場やネットは確認していたものの
張り方まではきちんと見ていませんでした。
幸い、お庭の土に落ちただけですみ
何かを壊したということもなかったので
今後は気を付けようと、いい勉強になりました。
帰って事務仕事をしていると、サイディングのプランナーのMさん来社。
Mさんが帰られてから
お昼挟んで、7人の方が来社。
ずっとしゃべりっぱなしでした。
失礼ながら玄関先で、という方もいましたが、
どの方とおしゃべりしてても、楽しくて。
図面かきやら、事務仕事は残ってしまいましたが、
好きな方たちと仕事ができるって
本当に幸せだなぁと思います。
残った仕事は明日の早朝頑張ることにして、
これから詩吟に行ってきます。
今日来られた方と話をしていると、向田邦子さんの
話になりました。
私は、川中島の詩を見たり、吟を聞くと
いつも向田さんが、お父さんから「川中島」を習った話を思い出します。
川中島の出だしは
「鞭聲肅肅夜河を過る(べんせい しゅくしゅく よる かわをわたる)」
というものなんですが、
この「べんせいしゅくしゅく」を
小学生だった向田さんは
「便意を我慢した少年剣士が
痛みをこらえて 夜、川を渡っている」
を想像して、笑ってばかりで全く詩吟ができず
お父さんがあきれて教えるのをやめた、
というエピソード。
全く違うんですけどね。
向田さんのお父さんの時は、詩吟は
教養のひとつだったんだなぁと思うと
改めて時代の変化を感じます。
では、いってきます。
執筆者:片岡千尋